教皇ベネディクトⅩⅥ世御出現


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※ メッセージは長く、70以上の文節から成っています。翻訳は初めから順序に従って翻訳してゆくのではなく、優先されて翻訳されるべきだと翻訳者が判断した文節から翻訳してゆきます。文節には便宜上番号を付けました。最新の翻訳には赤で「最新」が印してあります。

教皇ベネディクトⅩⅥ世のメッセージ

1  2023年2月2日のキャンドルマス(主の奉献、あるいはマリアの浄め)の祝日のミサの間の、シスター・十字架のベネディクタの最初のヴィジョン

2 司祭がパンとぶどう酒の捧げものを祝福しているあいだ、目の前の物すべてが飲み込まれてゆき、私が見たものはと言えばベネディクトⅩⅥ世でした。教皇様は白と金のローブをまとっておられました。教皇様は捧げ物と祭壇を祝福され、振り返えり、会衆を祝福されました。それで私は教皇様をはっきりと見ることができました、振り返るまでは後ろ姿しか見えませんでした。教皇様は伝統的ラテン語ミサを挙行されました。教皇様のローブは純白に輝き、胸にはエメラルドをあしらった胸十字架(高位聖職者が付ける―訳注)を下げておられます。祭服は銀の刺繍で百合の花が施され、また、イエズス様、マリア様、ヨゼフ様のみ心が金の紋織物で絡められています。教皇ベネディクトⅩⅥ世の華麗なお姿に私は驚きました、以前、私が夢で見たお姿とはまるで違っていました。その夢を見たのは教皇様の葬儀の日でした。教皇様は教皇のお召し物でしたが、輝いてはいませんでした。老いさらばえた普通の人のようでした。でも、今日は違います、教皇様は輝き、若返り、生命力に溢れて見えます。教皇様の体の中から光が輻射(ふくしゃ)してでもいるかのように、周りはすべての物が明るく輝いていました。教皇様のお顔は若い頃のお顔でしたが、成熟した人間のお顔でした。集中しているように見えました。それから私は、教皇ベネディクトⅩⅥ世が伝統的トリエントミサのカノンを完璧なラテン語で唱えるのを聞きました。チャペルは、絶妙な色に煙る没薬の混じった香の芳しい薫(かお)りで満たされていました。そこには神聖な雰囲気が漂っていました。

3 その場にいたすべての人が同様の感覚だったと思います。神への畏怖が存在していました。私たちは皆、畏敬の念に満たされていたのです。教皇ベネディクトⅩⅥ世が主の体に聖変化したホスチアを奉挙した時には非常に荘厳でした。たくさんのお香が天に昇っていきました。祭壇の片側に一位の天使が立っていました。天使は王族のいで立ちで、力に満ち溢れ、片手に金のカリスを持っていました。このカリスからはお香があふれ出て神の玉座に注がれます。依然として恍惚状態にいる私は上を見上げました。そこには宝石をちりばめた三つのニッチ(壁龕(へきがん)―御像などを置く壁のくぼみ―訳注)がありました。右のニッチにはヒッポの聖アウグスチヌスがおられ、左のには私たちのフランシスコ会の聖ボナベントゥラがおられました。お二人とも教会の教師です。真ん中のニッチは空(から)で、教皇ベネディクトⅩⅥ世が浮き上がってそのニッチの席を占めました。一位の天使が祭壇をおびただしいお香で煙らせ、教皇ベネディクトⅩⅥ世と天使と共におられる聖人たちに散香しました。それぞれ、散香の前にはお辞儀をしました。

4 それから教皇ベネディクトⅩⅥ世はズケット(縁なし帽)を取り、ご自身を神にお捧げになられました。そして視線を足元に落とされ、そこには何か鏡のような物が現れて、教皇にはそれを通して聖ペテロ大聖堂が見えました。教皇は教会全体をご覧になり、顔を両手で覆われました、教皇の隣の二人の聖人―聖アウグスチヌスと聖ボナベトゥーラも同様に両手で顔を覆われました。それはまるで、教会で起きていることを恥ずかしいと思っておられるかのようでした。司祭が私にご聖体を授けるために来られました。私は依然として恍惚状態にありました、私には司祭は見えず、教皇ベネディクトⅩⅥ世が見えました。教皇が近づいて来られ、私は言いました―「教皇様」そしてご聖体を受け、私は一種の霊的静謐(せいひつ)に包まれました。私は繰り返しました―「教皇様、教皇様」私が覚めると、私は私の個室まで連れていってもらわねばなりませんでした、私はぼーっとして恥ずかしかったからです。その2023年2月2日のミサには来賓の方々がおられ、教えられたところによると、その場のすべての人たちが私の恍惚状態を知っていたというのです。私のような普通の人間にとって、このような超自然的出来事は力に余ることです。多くの人にはこれらの超自然的恩寵で人がどれだけ苦しむかは分からないでしょう。

5 同じ日、2023年2月2日23:00に、教皇ベネディクトⅩⅥ世は、再びシスター・ベネディクタにお現れになりました。

6 今回は私は教皇を私の個室で見、教皇は教皇の白衣をまとい、胸に美しいエメラルドの十字架を下げ、教皇指輪を付け、非常に鮮やかな赤の靴を履いておられました。教皇は私のベッドの脇の椅子に座っておられましたが、椅子は現実そのままの椅子ではなく、それは白い布張りの高椅子で、飾りの木は精巧な彫刻が施されエレガントかつ地味な金色が塗られ、全体が光り輝いていました。(お召し物の)白は純白で、教皇のお肌はバラ色でした。お顔は健康そうで、安らかで爽やかな落ち着き払ったご様子でした。

7 私は叫びました―「閣下(Your Holiness)あなたでいらっしゃいますか」私はまだ(恍惚状態から)完全には覚めていませんでした。教皇が声を弾ませてラテン語で祈るのが聞こえました。それは教会の祈りのようでした。その発音は完璧でした、なんというラテン語でしょう!教皇は私をご覧になられ、微笑み、言われました―「イエズス・キリストに賛美(Laudetur Jesus Christ)」私は応じました―「代々に至るまで」教皇は話し続けられました―

8 「起きなさい、主は、私の死後に隠されることを望まれたことについてあなたに書き留めてもらいたいと願われています。それは重要なことなので書き取ってください、私には言うべきことがたくさんあります」

9 教皇閣下は私にラテン語でお語りになり、私はそれを完璧なスペイン語で理解しました。少し前に、ある聖人が私にフランス語で語られましたが、私は彼の言うことをスペイン語で理解しました。どうやるのでしょう。私には分かりません。私に分かることはと言えば、彼らが語ることを私が理解するということだけです。それで私は難儀して椅子に座り、書き留めるための紙とペンを用意しました。

10 話は長く、私が語ることは、土台から教会を揺るがすハリケーンを生じさせるでしょう、特に中央政府であるヴァチカン聖庁を。私の敵たちはその成功によって勝利したと思っているでしょうが、彼らの喜びは長くは続きません。彼らは仲間内で言います―ついに我々は彼を黙らせた。彼の投票が我々の利益を損ねた。ほっとした!しかし彼らは神の御旨を考慮していない。彼らは私が語るなどと思ってもいなかった、その可能性を考えもしなかった、死者に口無しと思った、しかし彼らは神が正しく、時折、私の場合のように死者に語らせることがあるということを忘れている。それは永遠からの語り掛けであっても、それはキリストの真理を証しするものです。私は神と共にいて、永遠に生きます。主は、曲がった線の上にまっすぐ書く方法をご存じです、そして、死後の生命があり、いかに彼らが私を沈黙させようとしようとも、死後であってさえ真実は明るみされるのだということを証しするために、主は死後私に様々な人々に私自身について語ることをお許しになられたのです。

11 私の偉大なる友、ヨハネ・パウロⅡ世の葬儀ミサで、私は心に大きな動揺を覚えました。ヨハネ・パウロⅡ世は、口封じだけのために首の手術を受けたのでした、それで彼の健康は悪化しました、それは中央政府の中で高位を占める教会フリーメイスンと矛盾する決定を彼にさせないためでした、つまり当時のメディアが報じたようなものではなかったのです。

12 教皇ヨハネ・パウロⅡ世にはもう一つの管理計画が念頭にありました、それは必要がなければ変更を規定しないというものでした。当初彼は、ヴァチカン聖庁内での調査に懐疑的でした、教会の安定を脅かすゆえに即座の変更を求める非常に重要かつ機密の情報を含むレポートがありました、その情報は前任者の教皇ヨハネ・パウロⅠ世によって詳しく知られていました、彼は暗殺されました、それはこの情報を知っていたからだけではなく、彼が中央政府とヴァチカン銀行内のいくつかの変更を取り消しし始めたからでした、それは彼を排除するに十分な理由でした。暗殺が実行された後に初めて偉大なるヨハネ・パウロⅡ世は考えを変えました。彼はこの情報を私と分かち合い、私たちは仕事に着手しました。当時私は教理省の長官でした。不幸にも物事は計画通りにはいきませんでした。被った痛手は回復不可能でした、また多くの教会ヒエラルキーの高位を解任することは非常に複雑なことでした。

13 そして、いくつかの措置がすでに取られていたことも事実です。
フリーメイスン、それは枢機卿団といくつかの聖庁で優位を占めていて、ヴァチカン内のみならず、ヴァチカンの外との同盟を通じてその触手を伸ばしていました。私たちは、望むことではなく、ただできることをやりました。私がしたように、敵対的な(ヴァチカン)政府と一緒に働くことは困難なことです、そして味方もほとんどいない中で、その影響を受けた相対主義と現代主義を掲げる多数派を相手にするとは。私たちはすぐに、教皇に対する反抗と不従順の風潮があることに気づきました、そしてそのすべてのことが教会の大分裂に繫がる恐れがありました。私の人生において、とりわけ教皇職にある間に、私はひどい苦しみの瞬間を経験しました。その中のいくつかは神だけがご存じです。悪が最高レベルまで達しうるとは決して考えられませんでした。そして今サタンは、強力ですべてを支配していると感じています。

14 ヴァチカンのメーソンの枢機卿には、オカルト的興趣を追求する非常に危険なマフィアが存在することを私は知っていました。彼らは教会に対する裏切り者であり、非常に重要な地位に就き、仲間を増やし、内部から教会とカトリック信仰を破壊するのです、彼らは神をも恐れず、冷血に、良心の呵責もなしに霊魂を破滅させ、それはみな権力と富への執着から来るものであり、主イエズス・キリストによって私たちに与えられた真のミッションから遠く、遠く離れていくことになるのです。偉大なるヨハネ・パウロⅡ世の亡骸(なきがら)を見たとき、私はそのことを考えました。その瞬間、私は心の底から、教皇とともに生き、本を書くことに身を捧げる決心をしたのです。私は、私の使命は終わったと感じていました。私は私の使命にすべてを捧げ、最善を尽くしてきました。さらに言えば、私の健康状態は良くありませんでした。私は、もっと穏やかでリラックスした立場で、自分自身が裏方に徹する形で教会に寄与することを望んでいました。教皇の逝去した後、私は私の仕事は終わったと確信していました。しかし、神の計画は私たちの計画ではありません、そして神はすでに私に関してはお決めになられていたのです。コンクラーベで、投票の間に選択はこの哀れな人間の上に下されたことを恐怖とともに知った私は、諦めとともに心の底から神に言いましたー「神よ、私に対してこのようなことはなさらないでください」その後そのフレーズはメーソンの枢機卿たちに操られてすべてを歪められてメディアに取り上げられ、私の死の時まで私に対する破壊的で虚偽のイメージが作り上げられたのでした。

15 私が保守主義者で伝統主義者であることで私が教会の規則を強めるということ、また当時台頭してきた現代主義の空気に私が反対しているということを含む噂があり、また私が相対主義に反対しているゆえ彼らの計画の脅威になるとも言われました。神の御旨を受け入れるかどうか尋ねられたとき、私は答えましたー「はい、私は神の御旨を受け入れます」あらゆる(教皇になるための)決め事が処理されてゆくあいだ、私は、枢機卿団の中には私よりふさわしい人たちがいると思いました。しかし、神のいつくしみはすべての人の中から私をお選びになられたのでした。この主のブドウ畑の単純で卑しき働き手を。その(聖書の)句は、私が使徒ペテロの後継者として選ばれた日に、私が公けに語ったものでした。私は、私に何が控えているかを十分承知していました。私の敵は力を強め数も増していました。私は、教皇パウロⅥ世がヴァチカン聖庁で教皇職にあったときに作ったいくつかのファイルの存在を知りました、後にそれを私の前任者ヨハネ・パウロⅡ世と一緒に研究しました。 私の願いは、全体的な浄化を始めることでしたが、これは簡単なことではなく、バチカン教皇庁内の全面的な再編成が必要であることはわかっていました。私は、私の前任者たちがそうであったように、命を落とすことになる可能性が高いことははわかってましたが、何人かの信仰の人たちの助けを借りて最も困難な道を行く決心をしたのでした。

16 そのために、私は「キリストの軍団(the Legionaries of Christ )内で大いに必要とされていた浄化を開始し、その創立者であるマーシャル・マーシェル( Marcial Maciel)をすべての公の職務から解任しました。そのことだけで、教会内だけではなく、教会の外でも、私には多くの敵が生まれました。

17 私を粛正する大いなる動きがあることを私は知っていました。私はヴァチカンの教皇庁と、そこで渦巻くあらゆる陰謀について知っていました。私は、私がペテロの椅子に座る最有力候補でないことを知っていました、それは私が資質を欠いていたからというだけではなく、私がメーソンのゴールに寄与しないからでした。その間、彼らは彼らの利益に合致する理想的な候補者を準備し、権力と一致するその候補者を選ぶ間に誰かを教皇にする必要があり、その、その場しのぎが私だったのです。

18 (ここで教皇ベネディクトⅩⅥ世は深くため息を吐きました、その視線は果てしのない海の平和のようでした。)
私は、私の前任者がそうであったように、命を失う可能性が高いことを自覚していました。しかし私は、何人かの信仰の人たちの助けのもとに、より困難な道を行くことに決めたのでした。

19 しかし神は、ご自分の教会に対する無限の憐みによって、優しくも不義の大いなる謎を少し伸ばされたのです。この謎が私の死後に明らかになることを神はご存じだったからです。神はその忠実な仲間の助力のもとに完全に自由に御業を行われます。大いなる教会の破壊者はすでに立ち上がっていました。彼の名はすでにヴァチカン内で、また秘密の会合で聞かれていました。しかし彼は準備が整うまで、また時が到来するまで待たねばなりませんでした。時、神がその善においていて、聖人たちと教会の神秘体の義人たち―単純で、穏やかで、揺るぎのない信仰を持つ寡黙な人たち、イエズス・キリストのためには命をも捧げ、悪の所在を弁(わきま)え、悪に屈することのない人たちの祈りのおかげで延ばされてきたその時です。これらの人たちは、主に愛され、多数存在し、粛々と叙階され、神の御母に手を取られて歩む強力な軍隊を形成する人たちです。 

20 その時、教皇ベネディクトのお顔に天使のような笑みが浮かび、教皇は続けられました。

21 私がふさわしくない道具であるということを、神がご存じでないわけはなく、神は私にご自分の力、神ご自身がそうされたように愛をもって十字架に耐えるための力を与えてくださいます。このことは、すでに枢機卿団の大多数からの、そして市井(しせい)の権威筋からの拒絶を感じ、戦いはまだ始まったばかりだと知る私の心の慰めとなりました。教皇としての私の苦しみは選ばれたその日に始まりました。バルコニーに進み、人の海が轟きとなって叫ぶ様を見て私は自分の運命を理解しました。私は神の支配下にあったのです。ペテロの後継者として身支度を整えたとき、震えが走りました。体全体が、まるで屠殺場に引かれてゆくあしなえの子羊のように感じました。私は人生の中で、主の道が楽なものではなく、それはバラとあざみの散らばる道であることを悟るに至りました。

22 人がどんな道でも選べる、すべての道が真理に通じると考えることは危険です。これは現在、教会を「導いている」者にとって大きな誤りです。私はフランシスコのことを言っています。彼はこの種の体制と内部分裂を促進できる。ある意味で、これは私が数えきれないほど非難してきた相対主義との交わり、また世俗の権力を無理やり押し付けることを求める革命的イデオロギーとの交わりを受け入れることを意味します。冒瀆されたぺテロの座から教会によって広められる大きな誤りは霊魂を自殺に追いやります。地獄のような暴力的行為によって、悪がすでに行われ、元に戻すことはできません、神だけがご自分の教会が深淵に落ちてゆくのを救うことができます、私は第二ヴァチカン公会議中に、すでにこの悪を明確に見てきました。そこで私は、公会議の誤った解釈と、潜入してきた大勢の紫の狼(司教たちー訳注)によって、その瞬間に擡(もた)げてきた誤りの未来を予測しました、(それらの司教たちは)ヨハネⅡⅩⅢ世の教皇職の間の教会の分裂に乗じて確実に潜入して来たのでした。

23 生涯にわたって私は相対主義と戦ってきました、私は多くの著書で、神に背くこのような革命的理論を非難しました。少数を除いて、いかにほとんどの枢機卿たちががこのイデオロギーを受け入れるかを見て、私は個人的に悲しみました。それこそがまさに彼らが教会の改革を熱心に求めた理由であり、私の排除も含めた改革を求めた理由なのです。私は彼らにとって大きな障害だったのです。

24 私は彼らの限りない憎悪を感じました、いつも私とともにいてくださる神の憐みがもし無かったなら私はこれらの攻撃に屈していたでしょう。彼らは何度も私を殺そうとしました、しかし神は私を護ってくださいました、私が排除されるその日まで、私の時はまだ来ていなかったからです。私の死によって羊が散るということを私は知っていました、しかし、神なる牧者がご自分の群れに羊をお集めになられることを私は確信していたのです。神の救済の計画において私は道具以上のものではなく、まもなく大いなる浄化が訪れると思っていました。ご自分の教会に真に責任を持たれるのは主イエズス・キリストです。私が死んだあと、大きな混乱が生じました。キリストの真の弟子であると主張する者たちの心の中の邪悪さをどういうわけか神はお許しになられ、また事実としてこの時代のユダとなった者たちが、教会にさらなる混乱と分裂をもたらすのをお許しになられました。

25 私の95歳の誕生日で、多くの誹謗中傷の中に「この教皇は教皇になりたくなかった教皇だ」というのを聞きました、それを私自身で、何人かの枢機卿たちが言うのを耳にしました。私は疲れを感じ疲弊しきっていました、私はあらゆる悟りと慰めが奪われていました。私は主と共にカルワリオへの道を上り、贖いの十字架を受け入れたのでした。私の時がまもなく来ることを私は知っていました、私は孤独という牢獄と、暗号やたとえ話でしか公に語れない恐怖を経験していました。

26 私は、信用できない一人の看守に見張られているという牢獄を経験しました。私は慰めもなく打ちひしがれていました、しかし私は、できるだけ主に倣おうとしました。私自身の力にはより頼まず、イエズス・キリストに全幅の信頼を置き、神の恵みによって、私は差し出される苦い杯(さかずき)を拒みませんでした。私は、日夜、私のそばにはユダ・イスカリオテがいて、彼がまもなく裏切りのキスで私を裏切るということを知っていました。しかし、私は彼を拒みませんでした、私は屠所に引かれて行くおとなしい子羊のようでしたが、私はすべての事柄に神の御手を見ました、しかしながら、私は黙して、祝福と赦しを与える時以外は口を開きませんでした。

27 ユダ・イスカリオテは、神なる主が、彼の期待に反して政治的な戦士ではなく、平和を愛する謙遜で柔和な人間であったことに驚きました。何となく私は、自分自身をこのイメージの反映として見ていました、私は柔和で謙遜で、平和の人でした、私に挑んできた多くの人たちがこのことで混乱しました。多くの人たちが私に試練をもたらしましたが、最も気がかりであったのは私の看守―私の秘書だったのです。

28 過去において私は友人たちから裏切られるというひどい経験をしました。私の看守は友人のふりをし、痛悔をしたふりをし、私の味方のふりをしました、しかし、人生の終わりに私は鋭い霊の識別が賦与され、私は彼と、日夜私とともに生活する人間たちを信用できませんでした。私が追放された牢獄は「教会の母修道院」でしたが、それには特別な理由がありました。神は、私が正当な牧者として、教会を支えるために外ではなく中にいるようお考えになられたのでした、私は祈り、償いの生活をし、私の看守が主に従わなければなならなかったことから許す、時たまの人の来訪以外は何の慰めもない、見かけ上は静かな隠遁生活を送ったのです。私が孤立し、世間との接触を避けるよう主はお考えになられたのです。しかし、神とのコミュニケーションが奪われることはありませんでした。苦しめばそれだけ主の聖心の鼓動に近づきました。私の生活は、絶え間のないとりなしの祈りとなりました。私は真の自由に至る道を見出しました、それは祈りによるものです。ある人たちが望むようには、私の心が罠にかかるということは決してありませんでした。私の朽ちかけた身体は苦しみを生み、健康を促進するよりか脅かす薬を与えられ、それによって私は徐々に「永遠」に近づいて行ったのです。

29 私は身の回りで起きていることに気づいていました。このような苦しみの中ににあってさえ、神はその慈しみよって私に明晰さをお与えになられました。唯一の牧者、正当なキリストの代理者として、私は、死刑執行人たちによって囚われの身となっていました。ある日、私を牧者の中の牧者として選んだ同じ者たちが、棕櫚の主日に主イエズスに起きたように、後日に私を磔刑に処したのです。、

30 私たち人間の限界と弱さにおいてこそ、私たちはキリストに適合させるよう呼ばれています。時間の経過ごとに、私は自分の生活をキリストの光の中で明確に読み取ることができました。一歩いっぽ、私は預言が成就してゆくのを見、人生の最後には、私は地上よりも天国にいる自分自身を見ました。私は、涙の谷においてここに留まるよりも神の御元に行った方が一層教会のために役に立つということを十分承知していました。そしてこの思いだけが、神への愛―私への愛から完全にご自身を十字架に委ねられた神への愛から、私が十字架を背負ってゆくことを促すのでした。これは私の公の告白です。私、キリストの代理者、天の国の鍵をお与えになられた使徒ペテロの最後の、正当な継承者であるベネディクトⅩⅥ世は、ペテロのように牢獄に投げ込まれたのでした。私が真理を宣言した故、世の権力者たちの憎悪の的となり、彼らは明らかに残酷な方法で私の土の体を破壊しました、しかし、わが不滅の霊は解放され、今は神の祝されし光景を享受しています、それはすべての誉れと栄光が永遠に帰せられるべき神の一人子イエズス・キリストに忠実であった者たちへの報いなのです。

31 私は彼らの私への際限のない憎悪を感じました、そして常に私とともに居てくださった神の憐みがなければ、私は必ずやこれらの攻撃に屈していたでしょう。彼らが私を殺すチャンスは何度かありましたが、神が私をお守りくださいました。私が取り除かれるその日までは、まだ私の時は来ていなかったからです。私は、私の死によって羊は散らされると分かっていました、しかし神なる牧者が羊をご自分の群れに集めてくださると確信していました。神の救いの計画にあって私は道具にすぎず、それ以上の存在ではありませんでしたし、すぐにも大いなる浄めは訪れるのでした。ご自分の教会の真の責任者は、私たちの主イエズス・キリストです。私が死んでから大きな混乱がありました。キリストの真の弟子であると主張しながら、その実この時代のユダとなる者たちの心の邪悪さが、教会内にさらなる混乱と分裂を引き起こすことを、神はなぜか許されたのでした。

32 迅速かつ巧妙に彼らはクーデターを起こし、私の権威を無視して、私の後継者を選ぶためにコンクラーベを招集しました。コンクラーベではメーソン枢機卿が大半を占め、それは枢機卿団を弱体化させるための長年にわたる組織的な試みで、それに関しては広範囲にわたる情報と共に否定できない証拠があります。この潜入は、米国のメーソン同盟に導かれ、米国の当時のバラク・オバマ大統領の命令で、世界の主要エリート、特に中国がそれを要求しているため、彼らの(望む)候補者が私に代わるようコンクラーベに圧力をかけたのでした。彼らはバチカンの銀行を凍結し、翌朝私が辞職しなければ私を殺すとまで言って脅しました。それは私の魂に鋭い剣が浮かんでいるかのような、どうしようもない状況でした。

33 メディアがヴァチカンに操られて、私のイメージを損ない、世間に私を憎悪させたのは明らかでした。アメリカという国は、私のクーデターにもっとも貢献しました。私が一言発するたびに枢機卿たちの間で大きな騒動が起きました、特にドイツの聖職者たちの間で。彼らは最初に私に反対して手を挙げる人々の中に含まれていました、それで私は自分自身に言いました、息子が父親に反対の手を挙げ、激しい分裂を引き起こし、自分の頑(かたく)なな反抗に倣うよう他の国々をけしかけているのだと。この状況は私には耐え難い、落胆するレベルにまで達していたので、神の霊は祈りのうちに私に、ペテロの職務を違った形で、公に活動的であるよりも、観想的で祈りに満ちた形で続ける決心をするよう霊感をお与えになられたのです。このようにして私は、ヴァチカン聖庁内の中央行政部門の中で、彼らが私に求めたように、私への注意をそらすことができ、こうして史上最大の大分裂は避けられたのでした。

34 教皇として私は、数人の忠実な枢機卿を除いて誰からの支援もなく孤立していました。突然、私には神しかいなくなりました、私は、人間の言葉に力がない時に、出口は一つしかないことを悟りました、それは祈りです。そして、それが私がしたことでした。私は祈りに没頭し、痛悔のうちに生活しました、それは、私の敵である現代主義者たち、同性愛の仲間たち、そして神の掟とキリスト教的道徳に反するあらゆる革命的イデオロギーを持つ者たちにとって拷問となりました。私は、神の聖寵のもとに、苦いものを甘いものに変え、全教会と私に委ねられた教会の神秘体のために苦しみを利用したのでした。人間的弱さと限界の中でこそ、私たちはキリストに従って生きるよう呼ばれているのです。彼らは私の人生の進路を操作し、世界に対して、私を、一刻も早く交代させるべき卑劣な人間に仕立てたのです。彼らは、私が小児性愛者の神父を保護したとの噂を広めましたが、事実は全く違います。

35 神なる主、キリストに倣い、私は沈黙し、口を開きませんでした、私は神の介入に信頼し、正しい裁きに私自身を委ねたのです、私は、おとなしい子羊さながらに、教会の善のために血を流すべく屠所に引かれていきました。様々なメディアの、操作され、寛大に支払われた情報によって私は裏切り者と呼ばれましたが、カトリック教会の真の牧者として私は引き下がりませんでした。私の敵は、教会は私によって硬化し、私が公会議以前の時代に回帰しようとしていると言いました。

36 私は至極風当りの強い、信用されない教皇でした。私の名前はヴァチカン聖庁内部で歯ぎしりを引き起こしました。私について広められた多くの中傷の中に、私が十字架を捨て、オオカミから逃げた臆病者であるというものがありました。公私にわたる私の発言は、クーデターを起こすためにだけ歪曲されました。他の者は言いました―「彼は今までで最悪の教皇だ」そのように、剣の一本一本が私の心に突き刺さったのです。目にする厳しい現実に直面し、私はわが道を行きました、それはカルワリオに向けてキリストに従うことでした。枢機卿団の不従順はそのようなレベルに達していたので、私には統治ができませんでした。

37 一人の牧者として誰に対しても常に私は敬意と誠意をもって親切に接しました。その見返りとして私は軽蔑、中傷、侮辱を受けたのでした。いわゆる、私の個人秘書は私の腹心の友ではありませんでした、それどころか私は彼が信用できないということを知っていました。彼は私の死刑執行人であり、私の敵への公開マイクでした。私を独房に閉じ込め、厳重な見張りを置いたのはフランシスコでした。明らかに彼は、私が何か彼の評判を傷つけることを言うのを恐れていました。彼は、私が真実を暴露し、カトリック教会を破壊するための隠された彼の計画を阻止することを恐れていました。ゲオルグ(ゲンスヴァイン)に「教皇フランシスコはもはや私を信用していないようだ」と告げたときに、私はそのことを彼に明らかにしました。

38 私に付き添っていた、慎重に選ばれ、訓練を受けた修道女たちでさえが信用できませんでした。私は非常に孤独で、まさに牢獄にいました。一度ならず私はご聖体の前で泣き、キリストを仰ぎ、負けない強さと、万事において神の御旨を行う叡智を願いました。

39 秘書のゲオルグは私がそうするのを見ました。私がゲオルグに次のようなことを語ったのは、私の牢獄への追放の二年目、まさに私の秘書の誕生日の日でした―「ゲオルグ、今日はあなたにとって特別な日です」彼は言いました。「ありがとうございます、閣下」そして私をじっと見つめました。私は続けました―「私の真の統治プログラムは私の意志を行うことではなく、全教会と共に主の声と御旨に耳を傾け、主に導かれることであるということをあなたは知っています」彼は答えました。「はい教皇様、知っています」「さて、私は今日、このわれわれの歴史の時間、この私の明らかな無用な瞬間に、主イエズス・キリストは教会を導き、教会に良き終わりをもたらすということをあなたに言いたいと思います、主は地獄の力
が教会に打ち勝つことはないと約束されたからです。私が言うことを信じますか」
彼は言いました。「はい、閣下」深い沈黙が私たちを包み込み、私たちは互いに見つめ合いました。最初で最後のことでしたが、私は彼の視線の中に真の友情の痕跡を認めました。その瞬間、私は心の底からゲオルグとすべての私の敵のために祈って言いました―「主よ彼らを赦し給え、彼らは自分たちのしていることを知らないのです。」

40 私は確かに「マリアの沈黙の学校」にいました、すべてのものがマリアの御心の中に保たれ、多くの事のなかで私は、苦しい追放が沈黙であることを学んだのです。沈黙は弱さではありません、沈黙は恐怖あるいは臆病ではありません、沈黙は神の叡智であり、それは賢明さです。まさに賢い人間とはいかに、そしていつ沈黙するかをわきまえている人間であり、饒舌な人間ではありません。また、聖霊が、語ることを、あるいは沈黙することを促す時というものがあります。正しき者の沈黙は神の義が行われるよう促します、私たちは私たち自身を・・・私たち自身を神の御手に、神の正しき裁きに委ねるからです。教皇職の初めに、私は教会と共に神の言葉に耳を傾け、私は常に神の言葉に従順ですが、常に神の御旨を行い、常に必要なら頻繁に人を喜んで許し、第二のチャンスを与えることを明確にしました。人びとが求めなければならないのは、常に裁かれることよりも裁くことを避け、必要なら喜んで修正する真の牧者だからです。人には人間的弱さがあり、それは私にもある一方で、私が、私とともに船に乗っておられる神の手を離さなかったというのもまた事実でした。幾多の嵐に見舞われても、私は決して神の力を疑ったことはありませんでした。多くの失敗にもかかわらず私はいつも主に忠実でした、そして心に聖ペテロの言葉を繰り返しました―「主よ、あなたはご存じです、私があなたを愛していることを、あなたはご存じです」

41 私に、ゆっくりと毒が盛られていることを知り、私の傷ついた人間性は大変苦しみました。私の主人(この master という言葉が、英語の翻訳の間違いか、比喩として使われているのかはわからない。彼は秘書である)であるゲオルク・ゲンスヴァインが、フランシスコからの指示を、私に仕えている修道女たちに伝えているのを私は密かに聞いてしまったのです。私は彼が修道女たちに言うのを聞きました―薬を教皇に与え続けること、自然に見えるようあらゆることを行うこと、何も疑わないこと、質問をしないこと、上からの命令であること、心配はいらない、あなたたちは大きな見返りを受ける。私は何も知らないふりをしました、そしてその瞬間から私に与えられるすべての食事、薬は拷問と化したのでした。私は、毒が盛られていることを恐れて食事を食べませんでした。そして、このことが私の既に弱っていた体にダメージを与えました。彼らが薬を(毒に)すり替えていたことは確かだったので、私は常に薬を祝福しました。

42 牢獄での私の生活、それは十年ほど続きましたが、終わりに差し掛かりました。神は私を急がせました。はっきりと喋ろうとしても、私にはそれができませんでした。彼らは私を信じてさえいませんでした。彼らは私が語ったことを歪曲し、私には周りに信用できる人間は一人もいませんでした。それは非常にストレスのたまる状況でした、それで神は私を照らし、私は、私の話し方を誰かが理解してくれることを願いながら、本を通して、また暗号やたとえ話によって何とかコミュニケーションを取ることができたのでした。

43 私の95歳の誕生日に、フランシスコはキャラメルペースト入りワインを持って私に会いに来て、二人きりになれるかと私に聞いてきました。私は彼が皮肉と悪に満ちたことをずけずけと言うとは思ってもいませんでした。再び私は、彼の私に対する、教会に対する憎悪、そして特に教会の母に対する底知れぬ憎悪を感じました。私は常々、自分を平和的、外交的人間だと思っていました。私に何ができたでしょう。完全な孤独のうちに沈黙して苦しむことだけでした。私の生涯の終わりに、私は、やはりすべての神的援助を断念されたキリストの苦しみと完全に一致していたからです。それが私のカタルシス(情緒解放)の一部だったのです。私は悟りました。キリストの代理者としての仕事は大いなる浄さを必要としました。多くの事柄が私に託され、私は間もなく、私の統治について神に答えなければならないのでした。私は、洗礼を受けたキリスト者としての私の霊魂についてのみならず、教会全体についても答えなければならなかったのです。なんという大きな責任でしょう。教皇としてなんという重い十字架を背負わなければならなかったことでしょう。その瞬間から、私にとってすべてが明確になり、そう気づいたことで私は二重の不安に襲われたのでした。

44 告解の封印(司祭は告解の内容を絶対に人に話してはならないという規則―訳注)のもとで、いつもの偽りの兄弟愛のへつらいの態度で、べルゴリオ、いやフランシスコは、嘲るようなあこぎな調子で、自分は教会を手中に収めるのが好きで、教会を完全に破壊し、聖体を永久に葬り去ると言いました。彼は言いました―「私はあなたたちの神を地上から一掃する、私には、教会内だけではなく教会の外にも仲間が大勢いる、教皇庁は私にひざまずく、そして枢機卿団もだ、あなたも知る通り彼らは忠実な犬だ。彼らが忠実で、従うということをあなたは否めまい。そう言って彼はいたずらっぽく微笑みました。「私は彼らを、あなたのためにここに連れてきました。あなたがそのことを知らないといけないので知らせておきます。それを私からの好意だとお受け取りください。私は言われるほど悪い人間ではない」再び彼は微笑みましたが、今回は冷酷な微笑みでした。

45 彼の眼は私を恐れさせました、目の前にいる彼はサタンのようでした。彼は私に、特別な儀式(トリエントミサのこと―訳注)を一挙に根絶し、現在の儀式だけを、それに関わる多くの預言と冒瀆と共に残すと言いました。つまるところ、新しい儀式(ノビス)は、典礼の専門家であるフリーメイソンによって作られたのでした。彼は、テペヤック(ガダルーペ)に行って天の元后を面と向かって侮辱したときには喜びを感じたと私に告白しました。彼はメキシコの話をしました。そして彼は、ロシアと世界の、マリアの汚れなき御心への想像し得る信心を表すパントマイムをして喜びました。彼は、近寄り、皮肉を込めて言いました―「ファティマの聖母の最愛の御絵の前で私が誰に祈ったか知りたいですか」私は知る必要はないと答えました。そのことが私を傷つけると知っているので、とにかく話すと彼は言いました―「私は闇の王を呼んだのです、お分かりですか」私は押し黙っていました。彼は続けて言いました―「おお、お祖父(じい)さん、楽しかったですがもう茶番は終わりです。カトリック教徒は無知で愚かです、またそのほうが良いのです、従順で言われたことすべてに従うからです」そう言って彼はまた微笑みました。

46 彼は、私が苦しむのを見ることで最大の満足感に浸れると言いました。彼は言いました―私が苦しむのを見るのが好きだ、私は彼の餌食である、私の命は彼の手中にある、彼はいつでも私を永久に閉じ込めることができる、そうするのは初めてではない、彼は気にしないと。

47 彼は言いました―「安楽死というものを知っていますか」そう言って彼は微笑み、頭を振り、そしてこう言いました―「苦しいですか」私は彼の言ったことすべてにショックを受けました、そのような邪悪さを信じられませんでした。彼の心には憎悪しかなく、その唇からは恐怖しか出てきませんでした。彼はすぐさま私に言いました―「教皇様、心配しないでください、あなたの苦しみはすぐに止みます、約束します」私は彼を見つめて答えました―「あなたは神を恐れないのですか」彼は言いました―「私は恐れを知りません」そして付け加えて―「恐れとはなんですか」

48 私は自分に言い聞かせました―彼は教会の破壊者だ、彼がサタンの影響を受けているのは確かだ。そして私はファティマのことを考えた、涙が溢れた。私は、私の日々が数えられていて、私の人生の幕がまもなく下ろされることを確信しました。

49 それらの日々を短くした責任は私の看守にありました。見かけは忠実な私の秘書、ゲンスヴァインです。この仕事は彼に任され、殺人の疑いの微塵もなく果たされなければなりませんでした。私の死の前日に私の秘書に電話がありました。それはフランシスコからの電話でした。秘書はつぎの言葉を発してから電話を切りました―「時がきました」私が彼のそば近くで寝ていたのでそれを聞いたのでした。私は私の看守に抗いませんでした。私は忍耐をもって私の最後を待ちました。完全に孤立し、一日24時間見張られ、実際に彼らはヴァチカン内で責任者たちであり、フランシスコのおかげで今や多数派となり、情報は操作され、真実は書き換えられ、ヴァチカン自身によって寛大に支払われて公にされる中で、他に私に何が言え、何ができたでしょう。
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50 歴史上、多くの教皇が中央聖庁に侵入した同じメイスン枢機卿たちによって殺害され、監禁されてきたということは秘密ではありません。それらの枢機卿が国務長官となった後、それらの殺害の多くは自然死、あるいは心臓発作として処理され、そしていかなる疑念をも払しょくするためにそれらの教皇は列聖されました。例として一人名を挙げれば、教皇ヨハネ・パウロⅠ世、偉大なる教皇ヨハネ・パウロⅡ世が挙げられます、彼らは教皇ヨハネ・パウロⅡ世に何度か暗殺を試みて失敗し、最後は不必要で都合の良い咽頭摘出手術によって沈黙させられました。最後に、私は今ここにいますが、殺害の手段はたくさんあると断言できます。

51 ―彼の視線、ベネディクト16世の視線は永遠を垣間見るようでした。シスター・ベネディクタは言います、「私は聞いたことが信じられませんでした。私は心に大きな苦しみと憤りを感じていましたが、押し黙ってベットの縁に座り、教皇ベネディクトの秘書さながらに書き留めながら自分に言い聞かせていました『神よ、なんと怖ろしいことでしょう。なんという卑劣さでしょう。』」それから教皇は私をご覧になられておしゃいました―

52 気持ちを強く持って書き続けなさい。まだ言いたいことはたくさんあります。それはみな物語の一部です。書き記しなさい、娘よ。

53 私は申し上げました―「あなたの言われることを聴きます、教皇様」教皇様は続けられました。

54 教皇として私は、私が決して辞任してはいないのだと、また 私が
教会の善のために行動し、決断しなければならないというプレッシャーの下にあったということを世界が悟ることを期して常に白いスータンを着ていました。私ができた数少ない会話の中で、私は絶えず私を見張っている私の敵に疑われないように常に自分の考えをヴェールに包んで表しました、私は非常に慎重でなければなりませんでした。私の敵の数は多く、多くのマイクを忍ばせていました。今私は平和を享受しています、神は正しく、常にふさわしい時をお選びになられるからです。この時代は多くの人間が真理を知り、保有していると考えています。真理はただ一つです。それはキリストです、そして私たちは常にキリストに忠実でなければなりません。それは、キリストが私たちのためにそうしたように、命をおとしてでも忠実でなければなりません。

55 2022年12月8日に、信頼と善意のジェスチャーで、私は私の秘書に、私がいくつかの書簡と、私の最後の回勅『マリア―共贖者、仲介者にして代弁者』を書いたことを知らせました。私は、私の前任者、十字架の下での「共贖者なるマリア」を強く擁護した偉大なるヨハネ・パウロⅡ世に強く促されてこのことを(秘書に)言いました。私は秘書にそれらの物がどこにあるか尋ねました。彼は驚きの表情を浮かべてすぐさま「書簡ですか」と言い、同時に義務的な笑いを浮かべて信任投票の感謝を口にしました。私は、これらの書簡は内密なものであり、主として中央政府、ヴァチカン教皇庁、教理省、枢機卿団、ジェラード・ルドゥイック、ミュラー枢機卿、レイモンド・レオ・バーク枢機卿、ゼン枢機卿、ロバート・サラ枢機卿、ピオⅩ世司祭友愛会(the Priestly Fraternity of Saint Pius X)、そして聖ペテロ司祭友愛会に向けて書かれたものであることを指摘しました。

56 私は司祭と神学生たちに、絶え間ない熱心な祈りに活力を得、貞潔を培いキリストの近くにあって常に模範的な司祭であるための努力をするよう促す手紙を書き、司祭はキリストの聖心にふさわしくなければならず、そのようにしてのみ司祭職を成功させ使徒的実を結ぶことができるのだということを強調し、しばしば私が司祭や神学生たちに語ってきた言葉―出世や権力の論理にそそのかされないようにとの助言をしました。最後に、聖母の要請に従って聖体拝領と告解において誤らないよう彼らに促しました。

57 私はまた世界中の修道会、ジャーナリスト、そして私の良き友である神学者のジュリオ・コロンビにも手紙を書きました。最後に、私は神の民に向けて公開書簡を認めました。私はゲオルクに、私の死後3日目にこれらの手紙を出版するよう求め、彼はそれを約束してくれました。

58 わが教会の裏切り者の筆頭のイメージである、裏切り者で不実なユダ-
イスカリオテと最後まで共におられたキリストに倣うという私の使命において、私にもゲオルグがおり、間もなく彼が最悪の裏切りを行い最悪の殺人を犯すと知りながら、彼の霊魂の善と回心を願いながら、私は彼に対して最後の瞬間まで真摯な愛情、信頼そして忍耐とを示しました。私の秘書が裏切ると知りながら、私は賢明に、これらの手紙のコピーを私の偉大な友人ジュリオ・コロンビに、その最後の訪問の際に手渡すことに決めました。その訪問は、私の秘書のゲンスヴァインの度重なる懇願の後、神の奇跡によって私に与えられたものでした。慎重に、疑われないように私はすばやく状況を説明し、私の差し迫った死の後にそれらの手紙を公にし、コピーを枢機卿団の各メンバーに送ってくれるよう、彼に頼みました。枢機卿たちが正しい判断を下して、私の死後、合法的なコンクラーベを招集するようにです。 

66 ゲオルグがやって来て言いました―「教皇閣下、お休みになれましたか。お薬を飲まなければなりません」私は薬を飲み、神は私が行くべき時だと知らせてくださいました。それから、私は彼の眼をじっと見つめました。彼は私を見て、すぐに目をそらしました。彼の視線は冷たく、まるで死人の眼のようでした。

67 私は心を決めて彼に言いました―ゲオルグ、あなたは今まで私の死について考えたことがありますか。彼は答えました―「いいえ、閣下」私は言いました―あなたは死について考えなければなりません、そしてできるだけ頻繁に良心の糾明をしなければなりません。それは霊魂の健康のためになります、人生は非常に短い、そしていつの日かあなたは自分の人生について神に申し開きをしなければならない。彼は言いました―閣下、なぜそのようなお言葉を。私は、呼吸が苦しい中で非常に低い声で彼に答えました―「ゲンスヴァイン、あなたは長らく私と一緒にいてまだ私のことが分からないのですか。あなたがしなければならないことを、今すぐに実行しなさい、しかし覚えておきなさい、いつかあなたは神に答えなければなりません、そのことを忘れてはなりません」私たちは、沈黙のうちに見つめ合いました。

68 すると私の秘書は驚き、私が彼の欺瞞を暴(あば)き、騙(だま)されていたのが自分だったことを悟ったのでした。それから彼は私に注射を射ち、私の耳もとで言いました―「もう、茶番は終わりだ」私は覚悟ができており、祈りました、彼の望みに反して私は平和であり、それは神だけが霊魂に与えることができる平和でした。私は彼に囁きかけました―「私はあなたのすべてを心から赦します」そして死の苦しみの中での私の最後の言葉は―「主よ、愛しています。あなたは私のことをご存じです。私があなたを愛していることをご存じです」

そして私は、母親の腕の中で眠る人のように眠りについたのでした。














































































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