マリア・ディバインマースィー
私がいなければ、身体と霊魂の死は全人類を奪い取ることだろう
2015年1月6日 火曜日 19:30
わが親愛なる娘よ、人が私に背を向けるとき、私は大きな悲しみのうちに泣くが、私は忍耐強く、赦す者である。わが足跡に従うなら決してそうしないのだが、もし人がわが言葉を拒み、もはや他人(ひと)に愛を示さないならば、それは私に大きな苦しみをもたらす。それでも依然として私は、彼が私の元に帰って来ることを期待しながら忍耐する。私が復讐心に満ちて、ある者を大いに罰するのは、その者が霊魂を私から奪い、その霊魂を永遠の闇の中へと導くときである。この罰は、幸いにもその者が謙遜の中に自らの状態を受け入れるなら、彼を救うことになる苦しみという形をとり得る。
わが憐みに限りはない、だが、神の子供たちに対するこの上もなく残虐な行為によって私が汚されるなら、わが怒りは恐るべきものとなる。私はわが敵たちを罰するが、その罰は彼らの善と、彼らが接する者たち全ての救いのためであるということを知りなさい。私、わが言葉、そしてわが救いの計画を蔑(ないがし)ろにする者たち―高慢な者たち、尊大な者たち、無礼な者たちが堕落の底をつくというその限界は在るのだろうか。答は、彼らの邪悪さは尽きることがないということだ。
今ほど、人間のあいだの愛が欠落したことはなかった。この世に生きる者のだれ一人としてサタンの影響を免れる者はいない。誤って自分がわが心に適うと思い込みながら他人を残酷に扱う者たちはわが手によって矛先が向けられるのを感じるだろう。わが忍耐は尽きつつある、わが心は晴れず、他人を破滅させようとする者たちを救わんというわが願いは疲弊しきっている。
邪悪なるものの狡猾さはあなたたちの理解を超えている。邪悪なるものは、最も強い信仰の持ち主さえをも重大な罪によって私に刃向わせ、信仰薄き者たちを屈服させ、さらには失望の淵へと突き落としさえする。サタンの害を受けぬ者はだれ一人としていない、あなたたちがわが憐みを求めて祈り、個人的に犠牲を捧げない限り、霊魂の損傷は拡大してゆく。
この時代、多くの者たちが私から離れ彷徨(さまよ)い、しかも多くのキリスト教徒が祈りの必要性を悟ってはいない。祈りだけがデヴィルの力を挫(くじ)くのだ、私はデヴィルが人類を支配する力を弱まらせるために祈りの時間を増やすようあなたたちに願う。
私の介入がなければ、さらに多くの者たちが失われるだろう。わが憐みがなければ、永遠の闇へと向かっている者たちの多くが私の顔を見ることはないだろう。聖体におけるわが現存がなければ、命―霊魂の命だけではなく身体の命もないだろう。私がいなければ、身体と霊魂の死は全人類を奪い取ることだろう、だが私ゆえに、来たるべき世界においては死はもはや存在しない。わが復活によって私が死に打ち勝ったゆえに、あなたたちもまた死に打ち勝つだろう。地上のわが新しき王国に死は存在しない。身体と霊魂が生きて一つとなる―それは拒まれてはならない、一個の賜なのだ。
あなたたちは決して私の約束を忘れてはならない―私と共に在るもの、私の中に在るものは永遠の命を得るという約束を。
あなたたちのイエズス
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