富の追求

マリア・ディバインマースィー

富の追求
2010年11月30日   火曜日  12:00

わが最愛の娘よ、集中し、私が言わねばならにことを聴きなさい。あなたは今、最初のメッセージを受けた時からから現在までの変遷の時の中にいる。どうかこれらのメッセージが私からのものであると理解し、今、疑うのをやめてほしい。疑いは、あなたが呼ばれた仕事に集中することを妨げる。

世界で起きている事柄に関して言えば、邪悪なる世界秩序(World Order)が世界に行なおうとしていることが今や日ごとに明らかになっている。国連―この新世界秩序の多くの隠れ蓑の一つだが―国連はわが教えを根絶しようとしており、そのためにはあらゆる効果的な武器を思いのままに使用するだろう。

わが信徒たちは烈しく戦い、私を否むことがないゆえ恐れてはならない、とりわけ私に奉献された国々において、また熱烈で揺るがない信仰を持つ者たちは。彼らはひるむことなく、それを許さないだろう。だが多くの者たちは、自分たちの子どもたちが光によって導かれることを確かなものとすることに手いっぱいで、何もすることができないだろう。

前に説明したように、人間は徐々に私との関係を絶ってゆくゆえ、わが永遠の聖父(ちち)の怒りは地上に現されようとしている。

世も同じに見える。人々も同様である。華やかなテレビの世界も然(しか)り。人々は目を逸らす。彼らは世界が今あるままに続くと思っているのだ。悲しいかな、彼らは間違っている。わが子供たちに対する私の義務は、あなたたちを救うことである。空しい約束、むなしい夢、偽りの大望(たいもう)にあなたたちを巻き込まらせないことである。これらのことは、何年も、何年もの間、あなたたちが身を捧げてきた喜びである。あなたたちの中のそれらの者たちが、自分の落ち度ではなしに信じ込まされたこれらの約束は、利己主義に通じる道である。自分の利益に。自分の報いに。あなたたちはどんなことをしてでも一番を目指すよう言われた―一番であるあなたたち。あなたたちは、あなたたちと子供たちのために、野心と共に富を渇望する、あなたたちの兄弟姉妹よりも裕福であることを望む、そして絶え間のない自己賛美への余念のない追及に時が浪費された。

これらの野心は、欺くものによるこれらの野心の魅惑と光沢によってわが子供たちに与えられたのだった。わが子供たちの多くがこのメッセージを笑い、これは真実ではないというだろう。残念なことに欺くものは実在し、それでもわが子供たちの大半が彼が存在することを受け入れないのだ。

彼は物事、人々、行動、興味をそそる刺激的なものの背後に、狡猾に身を隠している。欺くものの魅惑的なそそのかしとは、もしあなたがある人に、お金か、あるいはばらばらになった家族が再び一つになるチャンスかのどちらを受けるかと尋ねた場合、今日、人はお金を選ぶということだ。また別の人に、物資的見返りのために兄弟を、あるいは姉妹を裏切るかと尋ねてみなさい。その答は、「はい」、だろう。幼い子供に、今の単純な生活と不思議と刺激に満ちた生活を交換するかと尋ねてみなさい、その答は「する」だろう。

ではなぜわが子供たちにとって、ひとたび大きな賞を受けたならば、人はさらに多くの賞をほしいと感じるものだ、ということを理解するのが難しいのだろう。一たび富を得た裕福な人間は、絶え間なく更なる富を得ようとするだろう。その理由は、サタンの与える物があなたたちの中に、あなたたちの理解することのないあからさまな空虚感を残すからである。そのためにあなたたちはさらに求め続け、それは大抵はあなたたちの隣人の幸福を犠牲とするのだ。何人(なんぴと)も途上で遭遇する人々に幾何(いくばく)かの苦しみを与えずに巨万の富を得るということはない。他のだれかが名声を得ていないということなしに、何人も名声を得ることはない。自分の富を分かち合わない者は必ず滅びる。何も持たない者は、物質的満足を与えられた者よりもよく分かち合う傾向がある。

わが教えは弱められ得ない
わが子供たちはなぜ、新約聖書が書かれて以来わが使徒たちによって教えられたこれらの教えを無視するのか。なぜ人々は新約聖書に書かれてある教義に耳を傾けないのか。人々は、聞かれないためにそれらのことがわが弟子たちによって書かれたと思っているのか。これらの教えは、私が地上を去って以来変わっていない。一つの理由のためにそれらのことはそこに書かれてある。解釈を変え、意味を弱め、新たな意味を加えるかある部分を削除することはできても、一つのことは残る。それは真理である。真理は常に同じものとして残る。それは人間に合わせて変えることができないし、また変わりもしない。今、このことに耳を傾けなさい。居住まいを正して聞きなさい。この道を辿ってあなたたちはわが聖父の王国に入れると思ってはならない。あなたたちの多くが、手に入れた富と栄光を正当化し、幸運によると考える。あなたたちが悟っていないことは、あなたたちの多くは、それらのものを手に入れる過程で邪悪なるものに魂を売り渡してしまったということである。

わが子供たちの中には自分たちがこの重大な罪を犯したということを知っている者たちもいるが、そのことを気にもかけない。他の者たちは純粋に、自分たちは自分自身と家族のために単純に最善を尽くしているのだと思っている。彼らは経済的安心(を求めること)は受け入れられると言うことを理解しなければならない。贅沢と富を追及することは受け入れられない。

現実には、巨大な富は罪によって得られるのだ。罪なしに得られかもしれない富は、罪へと通じる。

世界中のわが聖父の教会の教えにもかかわらず、人々はわが教えを依然として受け入れない。物質的利益を求めることに余念のない富んだ人々には、一つの神が存在する。富を求めて励む貧しい人々には一つの神が存在する。両者とも同じ神である。金(money)である。金はもしそれが不正に得られたのなら無益である、その場合それら(不正によって金を得た)貧しい者たちは経験によって恩恵を受けるということはない。

自分自身が恵まれていると思う者たちによって得られた金、物質的富、よい物は、それらの物を必要としている者たちとの間で分かち合わねばならない。寄付として与えられる金は、もしそれが栄誉や注目を得るためになされるのなら無意味である。確かなことは、いま世界で計画されている悪によって、あなたたちのポケットを空のままにさせておくという野望が現実のものになるとき、その時初めて金にはほとんど価値がないということをあなたたちが悟ることになるということだ。彼ら、邪悪なる存在があなたたちの金を取り上げ、その契約条項に関係なくあなたたちがその金を手にすることをできなくするとき、その時あなたたちはようやく幸福への代わりの道の必要なことを悟るのだ。

あなたたちの金は価値のないものとなるだろう。その時あなたたちはジャングルで生き延びる術が必要となる。生きのびるための直観力を有する者は、以前人に雇われてうやうやしく働く必要のなかった者よりも容易だろう。自分たち自身の食物を育てるための種は、何百万ドルよりも意味があるものとなるだろう。単なる果物が、派手な車よりもあなたたちにとって意味をなすだろう。

なぜなら、あなたたちが丸裸にされるとき、あなたたちはあなたたちの神、あなたたちの創造主を呼ぶだろうからだ。その時、その時に初めてあなたたちは、あなたたちの心の中の愛だけが重要なのだということを悟るのだ。なぜなら、愛なしには、あなたたちは成長することもできないし、わが聖父の王国に入ることもできないからだ。

今、考えなさい。富の追求には注意しなさい。手遅れになる前にやめなさい。分かち合い、分け与え、わが道を辿りなさい。これは、不安を感じているわが子供たちにとっては困難なレッスンである。

あなたたちの最愛の救い主
イエズス・キリスト

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