世界は大いなる変化の節目にある

マリア・ディバインマースィー
世界は大いなる変化の節目にある
2014年8月18日 月曜日   18:47


わが親愛なる娘よ、神の子どもたちが、この世で争いや、正義の名のもとに犯される恐ろしい残虐行為を目にするとき、次のことを知りなさい。悪は悪を生む。他の者たちに為すことは、あなたに(他の者から)為される。私は正義であり、またわが憐みは溢れるが、わが罰が忘恩かつ邪悪なる者たちの上に振り下ろされるとき、それは恐れられねばならない。

私はいかなる者にも害を加えない、それは私から来るものではない。だが、悪が神の子どもたちの上に加えられ、邪悪が広まるなら、私はわが正義を注ぎ、いかなる者にもこれらの時の到来したことを疑わせないだろう。邪悪は罪に由来する。罪に負けた者は、常にわが目において速やかに自らを贖(あがな)おうと努めなければならない。そうしなければ、罪はつのり、そしてもしあなたたちが憎悪と激情に満ちたサタンがあなたたちを支配しているのだということを疑うなら、そのときには、そのような者たちがサタンの支配から自由になることは極めて困難なことだと知らねばならない。

ひとたびサタンがひとりの人間を支配したなら、その者の思い、動き、行動が邪悪なものと一致するまで、サタンは絶え間なくその者を苛(さいな)み続けるだろう。支配された者は、最後には憑依(ひょうい)され、私、イエズス・キリストだけが、悪魔祓いによってその者を解放し得る。人は極めて迅速に憑依され得るが、サタンの支配から自由になるには数年を要する。であるから、わが罰が感じられたなら、それは悪を滅ぼし、他の者たちの生命を奪う悪人たちを罰するためである。身体的生命を、また霊的命を取り去る者たちを私は罰する。わが目はすべてを見通しているゆえ、悪をなす者で見過ごされる者は誰ひとりとしていない。

あなたたちはわが愛の豊かさを知っている。あなたたちは、わが憐れみの大きさに疑いを持っていない。だが死すべき運命にある人間には、それが人間に伝えられてきたものではないゆえ、神の怒りを知らない。神の怒りは現実のものである。あなたたちは、神は、サタンがご自分の子どもたちを滅ぼすのを許し、何もしないで眺めているとでも思っているだろうか。あなたたちは、神が、サタンの思いつきや望みに屈した者たちを罰しないとでも思っているのか。義人は死ぬかも知れないが、彼らには生命(いのち)がある。邪悪なる者たちは生きるかも知れないが、彼らには生命がない。

世界は大いなる変化の節目にあり、神が前もって語ったことは全て実現する。神が起こると言ったことはすべて起こる。警告のために私が預言を与えても、依然としてあなたたちは耳を傾けなかった。あなたたちは、人類が準備されるように世に与えられた、かくも多くの私的啓示を退けた。依然としてあなたたちは聴かなかった。

あなたたちは破壊の規模が縮小されるよう祈らなければならない、もしあなたたちが未来に起こることを目にしたなら、憐れみを乞うてわが足下にひれ伏すだろうからである。わが地上の教会において神の言葉を活かし続けなかった者たちは、そうでなければ救われるはずであった何百万もの霊魂を滅ぼすことの責任を負う。

私を自分のものであると言い、一方では真理を宣言しながら、他方では私を呪う者たちは恥を知れ。罪のために私が忍ぶ痛みと悲しみ、また人間の神からの乖離(かいり)は終焉(しゅうえん)を迎える、わが時が到来したからである。霊魂をめぐる最後の戦いの中にあって、悪がエスカレートしてゆくので、神の罰は、邪悪なる人間が自分の兄弟姉妹たちに加えるものの十倍であると知りなさい。

わが愛を恐れるのではなく、わが正義を恐れなさい。

あなたたちのイエズス

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