一個の霊魂は、神の偉大さを認識するまでは、再び完全にはなれない
2013年8月9日 4:50pm

わが愛しき最愛の娘よ、人は、わが心と一致していることの意味を完全には理解していない。私、イエズス・キリストは、人間を罪の奴隷の状態から自由にするために来た。罪は、ルシファーが自分が神よりも偉大だと信じたときに生じた。悪意のこもった嫉妬のため、ルシファーは人間、神の最初の子どもたち、アダムとエバを、神から引き離すために誘惑した。

わが死は、神の子どもたちすべてに、救いの賜を与えた。神を信じない者、あるいは神を否んで偽りの偶像を神の上に置く者たちを含め、世の多くの者たちが、皆、救いの賜を差し出されている。すべての者がこの賜を受け入れるわけではない。私は救い主として、あなたたち一人一人を訪れる。最後の日の前に、あなたたちに真理を証明するために、私はあなたたち一人ひとりを訪れる。神の眼に重大な罪を犯してきた者たちにさえ、私は永遠の命の賜を与えるためにやって来る。

神の栄光はあなたたちが目指すものであり、この賜を受けるためにあなたたちがしなければならないことは、わが憐みを受けいれることである。神は全能であり、力に溢れ、すべてにおいて完全である。天国において、神は、天使、諸聖人からこの上もなく愛されている。神は、今日の世界に生きる多くの者たちに、非常に愛されている。すべての者が、新しい天と新しい地において神の偉大な栄光を眼にするのだ。

神は人間を必要とはしない。神が私、その最愛の子を、約束した永遠の命を人間にもたらすために再びお送りになるのは、神の人間への愛ゆえのことである。それが神が忍耐する理由である。

それが、神が、子どもたちが立ち返り神の愛を受け入れることを願って罪をお赦しになる理由である。

愛は、それが純粋で、神からのものであるとき、強力である。霊魂が清いなら、容易に神の愛に引き込まれる。浄められる必要のある霊魂は、再び霊魂が清いものとなるために必要な苦しみを受け入れるならば、神の愛を受け入れることになる。一個の霊魂は、神の偉大さを認識し、謙遜な服従によって神の御前に頭(こうべ)を垂れるまでは、再び完全にはなれない。

あなたたちすべての者が、救いの道を示されるその日は近づいた。すべての罪びと、一人ひとりが、神に助けを求める機会が与えられる。強く望む者には、わが憐みが惜しみなく与えられるだろう。

あなたたちのイエズス

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