クリスマスを祝うこと

マリア・ディバインマースィー

クリスマスを祝うこと
2010年12月25日   土曜日  12:30

わが最愛の娘よ、なぜあなたは逡巡(しゅんじゅん)するのか。あなたは毎日導かれているということを知らないのか。あなたは心の中では、すべきことは座り、心を開くこと、そうすればすぐにあなたはわがメッセージを聞くということをもちろん知っている。私を信頼しなさい。自分を明け渡しなさい。あなたが恐れ、心配、悩み、疑問を私に持ち寄るなら、私がそれらを取り去り、ふさわしい時にその効果を現すということを信じなさい。今あなたは、すべての人間にとってきわめて緊急のこれらのメッセージを聞くための時間を確保しなければならない。この最も聖なる仕事を進めることにためらってはならない。

さあ、これを聞きなさいわが最愛の娘よ。世界中のキリスト教徒がベツレヘムでのわが誕生に敬意を表する際に、多くの者は心に真の愛を抱かずに単に敬意を示す。他の者たちは、控えめに頷(うなず)き、微笑み、人類の始まり以来わが聖父(ちち)の子供たちに与えられた最大の賜を祝うこの最も重要な時について簡単に語る。だが、わが子どもたち―わが敬虔なる従者たちがクリスマスを祝うとき、彼らは現世的な物にかかわる華やかさや儀式に心を散らされる。

どれほど多くのキリスト者が、自分らの子供たちにわが誕生の意義を説明するだろうか。どれだけ多くの者たちが、わが最愛の母とそのいとも清き浄配聖ヨゼフの示した謙遜さを思い起こすだろうか。人類を地獄への道から救うために私が人となったということを、どれだけ多くの者たちが理解しているだろうか。この単純なメッセージが、何世紀にも渡って歪曲され、人目を引く物で隠されてしまったのだ。それにもかかわらず、クリスマスは、敬虔なキリスト者によって、私、救い主への忠誠について思いを馳(は)す時として認識されてきた。どうか、この祝日を、自分たちには遺産があるのだという事実に目覚める必要のあるこの世のすべての者のために祈るよう、私はあなたたちに促す。その遺産とは、もし彼らがそれを受けることを選択したなら、わが聖父の王国において彼ら一人ひとりのためにとってある特別な場所である。

大警告の時は決められた
わが子供たちは、自分たちの生活には影響があるかもしれないが永遠の命においては重要ではない、毎分ごとのニュースにすこぶる捕らわれている。子供たちよ、今は、あなたたち皆が、わが再臨に先立つ大警告の前に良心を糾明する時である。神の導きを願って、あなたたち自身の単純な言葉による祈りを用いなさい。

今や、大警告の時は決められた。警戒していなさい。護りを固めていなさい。

あなたたちの神なる救い主にして正しき審判者
あなたたちのイエズス

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