キリスト者であるために一度でも挑まれたことがなければ、キリスト者であると

マリア・ディバインマースィー
キリスト者であるために一度でも挑まれたことがなければ、キリスト者であると言うことは易しいことだ
2014年9月23日  火曜日    23:30


わが親愛なる娘よ、私は、あらゆる宗教、信仰の無い者たちそしてさまざまなキリスト教徒を含む神の子どもたちに手を差し伸べるので、わが呼びかけの結果として多くの者たちがキリスト教に回心することだろう。このことは、神の恵みにより、聖霊の力で達成されるのだ。

やがて、善意のキリスト者、そしてわが献身的な従者たちは、自分たちが直面しなければならない試練が非常に困難なものであることを知るだろう。いま私は彼らに問う。あなたたちの中で、今の時代に私の介入なしに私の傍らに立ち、真理を遵守(じゅんしゅ)するほど強い者は誰がいるだろう。あなたたちの多くは、善い心を持ち、私に忠実であるだろう、だがそれは自分たちのグループ内でのことだ。ひとたびグループで互いに一致するなら、あなたたちが私に仕えることは比較的易(やさ)しい。だが、あなたたちがある段階で、偽りの教義にあなたたちを誘おうとするわが敵たちの反対に遭うなら―それは簡単ではなくなる。

あなたたちが真の神の言葉に従っていることを非難されるとき、あなたたちの多くは真の神の言葉を擁護するには弱すぎるだろう。ひとたびあなたたちがキリスト者の仲間たちからの反対に遭うとき、またあなたたちが、新しい、しかし偽りの聖書の改訂版を受け入れるよう強要されたとき、あなたたちは悲嘆にくれることだろう。そのとき、あなたたちの信仰は真に試されるのだ。あなたたちには二つの選択肢がある。人間と神を和解させるために真理を求めて多くの血が流されたのだが、神に提示されたままにその真理を信じるか。あるいは、虚偽の染み入ったわが言葉の薄められたものを受け入れるかである。

 一番目の選択をするということは、あなたたちが多くの痛み、悲しみ、苦しみを味わうということである。私に忠実であるためにあなたたちは他の者たちから軽蔑されるからである。だが二番目の選択をすることによって、あなたたちは―仲間や私の敵たちに受け入れられて多くの褒め言葉に見舞われるだろうが―闇の中へ飛び込み、霊魂を危険にさらすことになるのだ。

キリスト者であるために一度でも挑まれたことがなければ、キリスト者であると言うことは易しいことだ。だがあなたたちが、わが名において軽蔑され、からかわれ、嘲笑され、あるいは中傷されるとき、あなたたちの中には、これらの試練に耐えるほど強くない者たちも出てくるだろう。あなたたちの多くが、他人の意見を恐れて私を見捨て、立ち去るだろう。あなたたちの多くが私を裏切るのだ。あなたたちの多くが、私の十字架を担うことを非常に恥じ入るゆえ、(私に)背を向けることだろう。

私の従者であることが簡単な事だなどと決して思ってはならない、それは簡単ではないからだ。だが、あなたたちの信仰が究極の試しにあうそのときが来る、そしてその時、私は私の者と、そうでない者とを知るのだ。

あなたたちのイエズス

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