キリスト教は、個人的自由の障碍として見られるゆえ、忌み嫌われるのだ

マリア・ディバインマースィー
キリスト教は、個人的自由の障碍として見られるゆえ、忌み嫌われるのだ
2014年8月11日 月曜日   19:36

わが親愛なる娘よ、この世は、人がキリストと呼ぶ優れた存在への信仰から成る霊性の新しい形のもので溢れている、だがそれは人々が言う私、イエズス・キリストではない。光の王と称されるルシファーであるサタンは、邪悪な存在ではないとされているのみならず、神のために働く存在として偶像化されている。このイデオロギーはキリスト教を破滅させようとする秘密セクトに好まれている。刺激を求めるゆえ、多くの者たちがオカルトやマジックの実践に引き込まれるだろう。ひとたび引き込まれてしまうと、彼らは邪悪なものの駒(こま)となり、やがては憑(と)りつかれる。

多くの者たちが精神的満足に飢えており、平安を渇望している。自己実現、平和、安らぎ、人間への深い悟りを主張するいかなるイデオロギーも、彼らを引き付ける。しかしながら、多くの者たちは私に従うことをひどく嫌うだろう、社会が私を徹底的に非難するからだ。だが、すべては神に通じるという偽りの教義を与えられると、彼らは譲歩するのだ。それは嘘偽りである、あなたたちは私、神のひとり子イエズス・キリストを通ってのみ神へと至るからである。

森羅万象を創造された神と私は一つである。 唯一の神が存在し、私、イエズス・キリストは、再び人間が完全なものとなることができるよう受肉した御言葉(みことば)である。私なしには、あなたたちはこの世でも、またあの世でも、決して満たされるということはない。世間では、努力をして求める最重要のゴールは自由―どんな犠牲を払ってでも手にする自由だと言われている。だが、まことに神を敬うということは、自分自身の利益のためだけにする努力を減らすことを意味し、それがために、個人的自由を阻害するものとして見られるがゆえ、キリスト教は嫌われるのだ。神、いかなる神であれ、神に仕えることは真理を求める多くの者たちのゴールとなるものだ。だが、サタンが神のように見なされているなら、神はその完全な正義によって、獣を敬う者たちを滅ぼすだろう。エリートたちや権力者たちの間に身を隠している獣は、私、イエズス・キリストは存在しないという嘘を広める者たちに大いなる力を与える。それはサタンによって人間に投げつけられた最大の呪いであり、人間の弱さのために、サタンは、邪悪なる者の口から吐かれる虚偽を信じ込ませるのだ。

唯一の神が存在する。神に至る唯一の道が存在する。私、世の救い主であるイエズス・キリストを通る道だけで、他の道は聖父のもとにあなたたちを導くことはできない。

あなたたちのイエズス 

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