『真理の書』

マリア・ディバインマースィー

『真理の書』
2010年12月18日   土曜日  9:40

そうだ、今やあなたは、私が約束することは実現するということを知っている。私はあなたに一人の霊的指導者、あなたの旅路のまさに始まりに、私が選んだ者を送った。選ばれた少数の者がわが仕事の杯を手に取るには時間を要する。わが僕(一般的にメッセージを受ける人―訳注)によってわがメッセージが完全に理解されるため、わが娘よ、あなたには霊的指導者が必要なのだ。そうした上で言葉は広まり、人々は真理を悟るのだ。それは突然に目の前に現れてあなたを別の方向へと向かわせる、でこぼこだらけの、狭き道である。だが恐れてはならない。あなたはいま導かれており、自分の仕事に大いなる自信を持つことだろう。

さあ、次のことを書きなさい。『真理の書』は、人類がわが心において自らを贖うための一助として人類に与えられている。私が、憐み深い救い主として、また正当な審判者として戻って来る前に、わが栄光を宣言するための選択が人々には与えられている。私は決してわが子供たちを罰したいとは思っていない、だがある状況では、すべてを分かっていて欺くものと組む者たち、そして彼とその手先たちを、祭壇前で彼に忠誠を誓うまでに敬う者たちは、救われないだろう。彼らは自分たちが誰であるかを知っているのだ。彼らは私に立ち戻ることが非常に難しいということを知るだろう。彼らのために祈りなさい。

サタンが攻撃する者たち
欺くものは、地上を破壊するために彼に残された時間が非常に少ないことを知っている、それであらゆる所でその活動を加速させている。彼は主としてわが聖父(ちち)の家のわが聖なる僕たち、若者たち、美しい者たち、さらには知性の高い者たちをも標的にする。

私を、あるいはわが永遠の聖父を信じていないと自慢げに言い続ける者たちには、心を開くためのチャンスがもう一度だけ与えられるだろう。

彼らを視ることは心痛む。まるで人々―わが貴き子供たちでいっぱいの車が濃い霧の中を崖に向って走ってゆくのを見ているようだ。車は間違った方向に曲がり、それぞれの居心地のよい家に戻ると思っているのに、今や、何の希望もない漆黒の闇の中へ飛び込もうとしているのだ。

前もって言われた預言はいま実現しようとしている
わが子供たちに耳を傾けさせることは、わが娘よ、簡単なことではない。障害があってもあなたは忍耐し続けなければならない。忍耐は重要である。これらのメッセージは非常に貴いものであり、愛だけではなく警告に溢れている。彼ら、わが子供たちは立ち止まり、はるか昔に前もって言われた預言がいま明らかになるということを理解しなければならない。これらの出来事は地上で起ころうとしており、時は非常に、非常に短い。

わが再臨の日を私は決して明らかにしない
あなたたちが知ることではないゆえ、私はあなたにわが再臨の日を告げることはしない、わが娘よ。だが私がやって来る前に、私が真の憐みをわが子供たちに示すために、いま私は全世界に語りかけているのだ。

わが母は私のために働いている
私のために働いているわが最愛の母は、選ばれしヴィジョナリーたちを通してメッセージを広めている。他の選ばれし預言者たちは、特に、私生活で苦しんでいる。もっとも敬虔な信徒による、かくも大いなる寛大さの印として、私は彼らがわが苦しみを苦しむのを許すのだ。彼らは、多くの霊魂の救いに責任がある。だが彼らは私が忍んだ苦しみを味わうだけではなく、今日私が忍ぶ苦しみをも味わうのだ。さらに彼らは時あるごとに、嘲笑、罵倒、嘲りを受ける。だが彼らは謙遜に、沈黙のうちに忍耐し、あるいはある場合には衆目にさらされる。他の者たち、孤独の生活を選んだわが聖なる僕たちは、大いに私に仕える。彼らの特別な禁欲の犠牲は、救霊のための更なる一助となるのだ。

当然のことと思われている神の賜
科学技術がこのようなとてつもない高みにまで達した現代世界において真実を伝えることは至難の業である。わが声は、こそばゆいがために脇へ押しやられる、荒れ野で聞こえるかすかな叫び声に似ている。

わが子供たちは、人間の善のために科学技術によってもたらされるあらゆる驚嘆すべきことが、永遠の聖父からの賜(たまもの)であるということを理解していない。人類の善のための驚くべき薬の発達もまた賜である。わが子供たちはこれが皆人間のなせる業だと考えているゆえ、これらの賜が当然のこととして見られているが、それはそうではない。

知性の賜
知性の賜は、まさに歌の賜同様、神の領域からの賜であるが、サタン、邪悪なるものの標的になるのは、まさにこれらの知性が神の賜であるゆえなのだ。科学技術が、世界を破壊し、破壊をもたらすために悪用されるのはサタンの力による。戦争が勃発し、テクノロジーがスパイ活動や殺戮に使用されるとき、サタンはどれほど笑いこけることだろうか。薬の科学的技術が単に殺人のために使われるだけではなく、殺人を正当化するために使用されるとき、さらにどれほどサタンは笑いこけることだろう。科学技術によって可能となるすべてこれらの、人類に対するぞっとする犯罪は、いわゆる寛容と言う外見の背後に隠されているのだ。

悪のマスクとしての寛容
寛容は、悪のための完全なマスクたり得る。これらの人類に対する犯罪がわが眼の前に明らかになるとき、わが教えによって警戒している者はだれであれ即座にそれを知る、ということは明らかである。寛容という名のもとに、人々は人を殺し、人の自由を否定し、そしてとりわけ道義的正義のために闘う権利を否定する。おお、そうだ子供たちよ、事情に通じ、警戒し、「寛容」と言う言葉を聞いたときには用心しなさい、それはサタンの好む策略のひとつであるからである。

人々は、キリスト教のために立ち上がることをしない
現代的コミュニケーション手段にもかかわらず、わが子供たちは、立ち上がり、自分たちのキリスト教を告白することをしない。これは主として、彼ら、ほとんどのキリスト教徒が西側諸国に住んでいるという事実による。彼らは、笑われ、いじめられることを恐れているのだ。彼らはまったく正しい。そうなるだろう。だが次のことを聞きなさい。わが子供たちは、わが十字架を取るとき、常にある種の嘲笑を受けるのだ。その時彼らは、自分たちが私の仕事をしているのだと確信できるだろう。

わたしのために苦しむ者は、大いなる祝福と多くの恵みを受けるだろう。だが、わが名を公けに宣言する権利のために闘うキリスト者は、もっとも苦しむのだ。彼、または彼女は、強くあらねばならない。あなたたちは、この地上におけるわが希望である。わが献身的な従者たちなしには、わが子供たちはわが聖父の王国への最終的入口に至ることはできない。

私は、わが子供たちのすべてを愛している。私は彼らの心の中におり、彼らはそれを知っている。この預言者を通してのわが言葉をいま聞きなさい。これらのメッセージを無視してはならない。口から吐かれた言葉によるこれらのメッセージは、わが再臨の前に、世界中の多くの霊魂を救う一助となるだろう。

さあ、愛と平和のうちに行きなさい。

あなたたちの誠実なる救い主
イエズス・キリスト 

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